135度 セスキコードレートの考察

135度 セスキコードレートの考察

セスキコードレートというのは135度のアスペクトです。

ARIの「占星術の基礎知識」では「困難、否定、衝動性、障害という意味がある。困難からの学びによって成長するという意味は弱い」と、なかなか厳しい意味のあるアスペクト。

アスペクト記号はこれ。90度と45度が重なっている形ですね。

さて、この135度というハードなアスペクトについて、フランク先生はどう見ていらっしゃるんでしょうか?

とても興味深い内容になっています。


【目次】

  1. まえがき
  2. 大躍進
  3. トリガー
  4. 事例研究
  5. さらなる事例
  6. チャートデータ
  7. 注及び参考文献

敷かれた道をたどるより、道なきところに足跡を残しなさい。

―― ラルフ・ウォルドー・エマソン(アメリカの思想家・詩人)


まえがき

出生図のセスキコードレート(別名、セスキスクエア、または、トリオクタイル)は、他のマイナーアスペクトと同じく「具体的な機能」をもつらしく、人生の本筋とは別のストーリーラインとなって(通常は、セスキコードレート天体が刺激を受けたり、チャート上の別の領域を刺激したりするときに)立ち現れます。

メジャーアスペクトが人生の物語の主要部分(物語のメインとなるパターン、おもな登場人物、本筋)を表すのに対して、マイナーアスペクトは重要なわき筋として、突然、人生の行く手に立ちはだかるのです。

セスキコードレートは、セミスクエアとスクエアで構成されます(45度+90度=135度)。「ハード」とされる一連のアスペクトは、月の満ち欠けと同じく、1つのシナリオの展開としてとらえるといいでしょう。

45度はいらだちや焦燥感を特徴とします。まったく異なる言語を話す天体同士のエネルギーを、どうすればうまく使いこなせるでしょう。それを考えさせられるのが、この段階です。しかし、まだ、選択すべき道を決めかね、迷っている状態です。

次の90度は、ものごとをだいぶ「分かって」はきたものの、重大な局面に立たされる段階でもあります。障害や困難に出くわして、前進の邪魔をされたり、むしろ、意欲を掻き立てられたりもします。

さらに135度では、道が途切れ、別のルートをとるチャンスが生まれます。そして180度は完全なる気づきに達します。この段階では、正反対の性質同士の対立や葛藤から、変化が生まれるのです。

「ソフト」とされるアスペクトが、そこから抜け出せなくなるような自己永続的な行動パターンや「心地よい」状況を生み出す可能性があるのに対して、4つのハードアスペクトは、いずれも、摩擦を生じさせつつ、その一方では、気づきや行動を促し、緊張を解放するチャンスを与えてもくれます。

大躍進

占星家にして、チャーチ・オブ・ライト(光の教会)の創設者でもあった、C・C・ゼイン(本名エルバート・ベンジャミン)は、各アスペクトを天体になぞらえました。彼はセスキコードレートを天王星にたとえ、どちらも摩擦と混乱を生むエネルギーを感じさせると考えました。

一方、ロイス・ロッデンは、セスキコードレートが冒険家のチャートに突出して見られるアスペクトであるとし、「未知の水域を航海する人や、新たな道を開拓する人」のアスペクトだと述べています(注1)。また、スー・トンプキンズは、著書『Aspects in Astrology(占星術のアスペクト)』(Element, 1989; Rider, 2001)の中で、セスキコードレートは事故のチャートに頻繁に見られると書いています。

ロッデンによれば、セスキコードレートは、何らかの分裂や崩壊が生じて、やり直しを余儀なくされる領域に見られます。しかも、通常、その人は、まだ分け入ったことのない道へ進まざるをえなくなり、「完全に元の状態に戻ることはありません」(注2)。

わたしも、ある種の人たちの出生図にこのアスペクトをよく見かけてきました。それは、スタート時とはまったく別の方向に、予期せぬかたちで向かうことになった人たちです。

たとえば、こんな教師がいました。勤務先の学校が存続の危機に瀕したため、彼女は廃校反対を訴えざるをえなくなり、その経験から、図らずも、自分が運動家に向いていることに気づいたのです。このように、セスキコードレートの天体が象徴する領域では、何らかの大躍進(突然の飛躍)が起きたり、新たな道を開くきっかけが生まれたりするようです。

セスキコードレートは、チャートを見て、ぱっと分かるような角度ではありません。したがって、まずトラインの天体に注目し、そこから、さらに15度進んだ位置に別の天体がないかを探すといいでしょう。

トリガー

セスキコードレートが発動する(トランジット、ソーラーアーク、または、プログレスによってトリガーが引かれる)パターンは次の2通りです。

(1)ある天体が移動して、別の天体やアングルとセスキコードレートを形成する――後戻りのきかない状況が勃発する。

(2)出生図のセスキコードレート天体が移動して、互いの間に新しいアスペクトを形成する――出生図のポテンシャルを発揮するチャンスが生まれる。

わたしの出生図には3つのセスキコードレート(冥王星-MC、太陽-海王星、木星-ASC)があります。

これらのトリガーが引かれたのは、16歳のとき、つまり、ソーラーアーク天体との間にトラインができたときです。

ネイタルではセスキコードレートだった冥王星-MCが、ソーラーアーク冥王星-ネイタルMC間ではトラインとなり、ネイタル海王星-太陽と、ネイタル木星-ASCに関しても、ソーラーアークによるトラインができていました。

まさに、その時期は、ある占星家(タッド・マン)のコンサルテーションを受けたことがきっかけで、わたしのこの世での方向性/居場所(MC)が大きく変容(冥王星)した、後戻りのできない(冥王星)時期に当たります。

当時のわたしは、自分が何者で、「なぜ生まれてきたのか」(太陽)を理解しようと暗中模索(海王星)状態にありました。しかし、占星術と「波長が合った」(海王星)ことから、自己認識(太陽)が大いに深まったのです。

それまでは、教職(木星)に就くか、映画業界の裏方(冥王星)の仕事に就くことをめざしていたのに、占星術と出会った途端にピンときました。これが自分の天職(太陽)だ、「ほんとうの自分」を実現する(MC)道なのだ、と。

1989年8月に受けたコンサルテーションは、わたしにとって、いわば、予期せぬ迂回路でしたが、その迂回路によって、わたしは、一個人としても、職業人としても、それまでとはまったく違う、新たな道を歩むことになりました(太陽、MC)(ソーラーアーク水瓶座木星がネイタル双子座ASCに対してトラインの位置に到達し、占星術という自己表現の言語をわたしに授けてくれたのです)。

事例研究

クライアントや受講生のセスキコードレート(オーブ2度以内)を分析していると、いつも、興味深いストーリーが浮かび上がってきます。

ある若い受講生の場合もそうでした。

ネイタルで2ハウス天王星と双子座MCの間にタイトなセスキコードレートをもつ彼女は、これまでに3度、解雇を経験しています。彼女のチャートは地のエレメントが優勢で、変化に対する強い抵抗力を示していますが、それでも、この3度目の解雇を機に、ついにフリーランスの道に進むことになりました(天王星、双子座)。

クライアントの「カーチャ」は、9ハウス蟹座月と5ハウスカスプ上の魚座水星がセスキコードレートです(図1)。

このことからは、国や家庭(月、蟹座、9ハウス)から切り離されるように移転する(セスキコードレート)可能性、定住地をもたない生き方や散漫な家庭生活(水星、魚座、4ハウス)、恋愛における突然の変化(5ハウス)などが考えられます。

実際、彼女は、生後14カ月のとき、ナチスの迫害を逃れるために、家族といっしょにドイツを脱出し、ノルウェーに向かいました。戦時中ですから、疎開そのものはめずらしいことではありません。

しかし、彼女の母親(月)がノルウェー当局から入国を認められなかったため、数年後、一家はスウェーデンへの移住を選択しています。

やがて、17歳になったカーチャは(1961年、夏)、アメリカの高校に1年間留学するための奨学金を獲得し、カリフォルニアのある家庭でホームステイを始めます(月、蟹座、9ハウス)。

このとき、学校から聞かされていなかったものの、彼女は、非公式ながら、スウェーデンの広報担当者の役割を期待されていました。そのため、2000人もの大学生の前で何度もスピーチ(水星)をすることになり、しかも、外国暮らしの体験談(月、蟹座、9ハウス)を求められたのです。

恥ずかしがり屋だったカーチャは、最初のうちこそ震え上がっていましたが、あっという間に、人前で話すスキルを身につけていきました。このときソーラーアーク水星は、ネイタルの蠍座ASCと獅子座10ハウスカスプ(イコールハウス)に対してセスキコードレートになっていました。

セスキコードレートの記事のチャート1

19歳のとき、カーチャは恋に落ちます。相手は執筆の夢を追いかける一方で、アルコール依存症を抱える男性でした(水星、魚座、5ハウス)。

翌年、2人は駆け落ち、スウェーデンからロンドンへ逃れると、そこで新たな生活を始めます(月、蟹座、9ハウスのセスキコードレート)。

やがて男性が記者兼経済担当編集者になると、カーチャは彼の転勤に付き合って、世界各地を転々としながら、2~3年周期で変わる勤務地での新生活を支え続けました。

ところが、1981年2月(トランジットの天王星が射手座に入った日)、夫は突然、不倫を打ち明けるなり、出て行ってしまいました。

こうして、カーチャは自分自身の人生を生きる自由を得たのですが、元夫が支払うはずの家賃を滞納したため、突然、家主から退去を言い渡されるという憂き目に2度も遭っています。

それでも、彼女は、編み物、折り紙、ペーパーフラワーなどの手芸品(水星、魚座、5ハウス)をつくっては、家庭用品店(月、蟹座)に卸して生計を立てました。なんと、その店の名は「Heals」でした(healは「癒す」という意味ですから、いかにも魚座的です)!

やがて、職業学校のコンピュータ・アシスタントの職を得たカーチャは、再就職をめざす人びとのサポート役を務めるようになりました。

受講生の「マシュー」の出生図には、6ハウス牡羊座太陽と獅子座MC上の土星のセスキコードレートがあります。

これまでのところ、このセスキコードレートは父方に作用してきました(太陽、土星、獅子座)。マシューの祖父は心臓発作(獅子座)により、突然の現役引退を余儀なくされています。

その祖父の長男である、マシューの父親は、エンジニアとして修業を積んだにもかかわらず、(マシューの言葉を借りるなら)「家業を継がなければならないという義務感から、畑違いの仕事に就き、それ以来、苦労ばかりで、楽しみとは縁遠い生き方をしてきた(土星、MC)」といいます。

その父親自身の出生図は、天王星と水瓶座MC、天王星と蠍座太陽がそれぞれセスキコードレートの関係にあり、さらには、火星と土星が蟹座できわめてタイトなコンジャンクション(彼が継いだ家業は、農場用設備の製造、とくに養鶏用ケージに特化した会社)なのです!

そして、1988年12月(この父親のソーラーアークASCが2ハウスでネイタル土星と重なったとき)、サルモネラ菌をめぐる騒ぎが原因で、家業は終わりを告げました。

さらなる事例

ブリジット・バルドーのチャート(図2)で目立つのは、水星・木星-天王星-冥王星のTスクエアですが、そればかりでなく、重要なセスキコードレートも見られます。

1つは、天王星と射手座ASCのタイトなセスキコードレート(思想家シモーヌ・ド・ボーヴォワールに「女性史を塗り替える原動力」と呼ばれた、自由奔放なイメージの女優から、動物愛護と人権擁護の過激な活動家への転身)、もう1つは、双子座DSC月と天秤座水星・木星コンジャンクションとのセスキコードレートです(スヴェンガリ的な映画監督の夫から与えられた女神アフロディーテのイメージからの脱却、そして、言論の自由を訴えるコメンテーターへの転身)。

ブリジットバルトーの出生図

1962年1月、バルドーは初めて公の場で、従来から行われてきた屠畜方法に対して強い非難の声を上げます。

そして、これを皮切りに、数々の場で同様の意見表明を繰り返しては、何度か刑事罰に問われることになりました。

驚くことに、その1962年1月は、ネイタルのセスキコードレート天体に象徴される4つの領域が、ソーラーアークによって、ことごとく刺激されていた時期です。

ソーラーアークASCがネイタル月に対してクインカンクス、ソーラーアーク天王星がネイタル水星-木星に対してクインカンクスでした。

ソーラーアークのクインカンクスは、長い時間をかけて少しずつ発酵し、ぶくぶくと泡を出し続けていた領域が、目立って表面化することを示唆しています。興味深いことに、バルドーの場合、火星もソーラーアークで10ハウス(イコール)に到達し、ネイタル天王星に対してセスキコードレートになっていました。

この例からも分かるとおり、セスキコードレートのネイタル天体が刺激を受ける時期には、ある種の花火が打ち上げられるのです。

セスキコードレートは、劇的で取り消し不能の変化を待ちわびている、不安定な部分を意味するからです。

歌手ディオンヌ・ワーウィックは、出生図に射手座太陽と12ハウス牡牛座木星のセスキコードレートをもちます。よく知られているとおり、彼女は、霊能者を名乗る友人たちの宣伝係として、悪名高きインフォマーシャル番組の司会者を務め、巨万の富を得た時期がありました。

それだけではありません。

ソーラーアーク太陽がネイタル水瓶座MCに到達した(そして、ネイタル木星とはスクエアになった)1986年の初めには、エイズ研究の資金獲得を目的とした楽曲「That’s What Friends Are For(邦題:愛のハーモニー)」(訳注:原題は「困ったときに助けるのが友だち」といった意味)がヒットチャートの1位に輝いています。

これを機に、彼女は、さまざまなエイズ関連の慈善活動(木星、牡牛座、12ハウス)で広報宣伝(射手座)や資金調達の役割を引き受け、翌1987年には、アメリカの健康大使にもなりました。

この木星色の強いアスペクトの影響は、彼女のキャリアにも表れています。1950年代後半、教職の勉強を中断し、作曲家バート・バカラック、作詞家ハル・デイヴィッドのコンビと組んで、彼女は歌手活動を本格化させました。

ヒット曲が途絶えた70年代には、大学に再入学し、音楽の修士号(木星、牡牛座)を取得しています。

そして、芸能界から教職への転向を考えていた、まさにそのとき、レコード業界の大物プロデューサー、クライヴ・デイヴィスとの再会(木星-太陽のセスキコードレート)が、ウォーウィックの歌手としてのキャリアを復活させました。

殺人と残忍な遺体損壊行為で知られたエド・ゲインの出生図には、暴発的なエネルギーを彷彿させる火星-天王星のセスキコードレートがあります。

狂気の淵への転落が始まったのは、1945年12月末、彼にとって愛着の対象でもあり、支配者でもあった母親が亡くなったときです。この時期は、ちょうど、ソーラーアーク天体にいくつもの重要な動きが見られました。

その1つが、ソーラーアーク蠍座金星とネイタル蟹座海王星のセスキコードレートです。

1人取り残され(訳注:父親と兄は母親よりも先に他界)、元来、社会との接触を恐れていたゲインは、この頃から、墓地で女性の遺体を盗掘し、バラバラにして自宅にもち帰ることを始めます。

心理学者たちは、こうしたゲインの行為には、亡き母親の物理的存在を取り戻したいという圧倒的な欲望(金星、蠍座)と思慕の情(海王星、蟹座)がかかわっていると考えています。

チェコ出身のテニスプレーヤー、マルチナ・ナブラチロワは、1975年9月、ソヴィエトの支配から逃れるために亡命を選択します。まさに、ネイタル12ハウスカスプ上の魚座火星と7ハウス天秤座海王星のセスキコードレートの性質を地で行くような決断でした。

18歳の少女が、ひそかで大胆なアメリカへの亡命劇(難民の状態=海王星、魚座)を演じたのは、彼女にとって不公正なものに感じられる(海王星、天秤座)共産主義的イデオロギーや、ゴシップや当てこすり(魚座)から逃れるためでした。

亡命に成功した彼女は祖国では公的に「存在しない」人物になりました。闘争心と独立心が旺盛な牡羊座ASCは、土星と冥王星のどちらともセスキコードレートです。

このこともまた、抑圧的で窮屈な体制からの解放を求める、彼女の個人的な闘いを象徴しています。全米オープン出場中に亡命を決断したとき、ソーラーアーク水星は、ネイタル魚座火星に対して、セスキコードレートを形成しつつありました。

チャートデータ

ブリジット・バルドー: 1934年9月28日、午後1時15分、グリニッジ夏時間、フランス、パリ(北緯48度52分、東経2度20分)生まれ。信頼性評価「AA」。出典はゴークラン夫妻が入手した出生証明書。

エド・ゲイン: 1906年8月27日、午後11時30分、中部標準時間、アメリカ合衆国ウィスコンシン州ノース・ラ・クロス(北緯43度30分、西経91度15分)生まれ。信頼性評価「AA」。出典はG・S・マキューアンが入手した出生記録。

マルチナ・ナブラチロワ: 1956年10月18日、午後4時40分、中東時間、チェコスロヴァキア、プラハ(北緯50度5分、東経14度26分)生まれ。信頼性評価「A」。出典は本人の発言を筆者フランク・クリフォードが引用したもの。

ディオンヌ・ワーウィック: 1940年12月12日、午後3時8分、東部標準時間、アメリカ合衆国ニュージャージー州オレンジ郡(北緯40度46分、西経74度14分)生まれ。信頼性評価「AA」。出典はジェニー・マッケイが入手した出生証明書。

 クライアントと受講生のチャートデータは個人情報につき非公開。いずれも信頼性評価は「A」(親の記憶)または「AA」(公的記録)。

注および参考文献

  1. ロイス・ロッデン著『Money: How to Find It With Astrology(占星術で読む金運)』(Data News Press, 1994) p.36
  2. 同上、p.37

フランク・クリフォード

Frank Clifford

ロンドン・スクール・オブ・アストロロジーの校長であり、著書は数十冊にも及ぶ、世界的占星家。世界的な老舗の占星術雑誌「Mountain Astrologer」に毎月寄稿。世界中のカンファレンスで講義を行っている。日本ではNHKスペシャル「占星術に魅せられて」で紹介された。日本ではARI占星学総合研究所と提携し、ロンドン・スクール・オブ・アストロロジー日本校で本格的な占星術を指導している。

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